佐藤医師は、由紀子夫人の態度には多少不快感を持ったが、その気持も理解できた。これは、由紀子夫人個人の問題というより、現代社会では誰にでも起こり得る普遍的なことで、この問題には、社会的な支援の手を差し伸べる必要があることは確かである。幸い、10年前に比べると社会の対応もずいぶん良くなっている。
翌日になって、少し落ち着いた由紀子夫人が娘を伴って来院した。さしあたり90歳の祖母をどこかに引き取ってもらいたいが、そのような施設はないかと言うので、今のような状況であれば、少し長期に面倒をみてもらえる「老人保健施設」が良いと思い、医師会の経営する老人保健施設を紹介することにした。この老人保健施設は、今から15年ほど前にできたもので、丁度その頃医師会でも医療と福祉の連携が問題になり、当時の医師会長が熱心に推進したものであった。
医師会に電話したところ「今は残念ながら空きがないので、データベースになってコンピュータから見られる福祉施設一覧がある」と言って、そのデータベース名と接続方法を教えてくれた。早速診察室のパソコンを全国医療情報ネットワークにつないで、県医師会の作っているデータベースを見ると、A県の施設の概要と空き状況がわかるようになっていた。その幾つかをメモに書き取って由紀子夫人に渡し、自分で訪ねてみるように言った。
この一覧表を眺めていて、医師によって経営されている老人保健施設がかなり多くなったと感じた。佐藤医師は、老人保健施設や老人ホームのようなものを一緒に経営することはあまり考えていなかったが、いざ患者を紹介するとなると、こうした施設も医療の一部であるという思いを新たにした。老人保健施設が最初にできた頃は、それを医療の一部として考える医師会員は少なかったため、あまり関心を持たなかったが、今になってはこれは誤りであったと佐藤医師は思う。そのために医師会とは関係のない形で老人保健施設が多く作られ、医師会の影響外に「老人保健施設協議会」ができ、医療との連携がない状態になってしまった。
当時、こうした状況を心配して改善に乗り出したのは、青森県医師会であった。福祉関係者と一緒に「老人保健研究会」を何回も開き、次第に実質的な協力関係を作り、その結果、老人保健施設協議会は県医師会副会長を長とする「老人保健施設協会」に組織改正を行って、県医師会内に位置付けられるようになったのである。
佐藤医師の県医師会でも、この青森県の例にならい、当時の医師会長が努力して、老人保健施設も、老人保健施設部会という完全な医師会の組織の一部となった。因みに現在の医師会の組織は、その中に施設ごとに部会があり、診療所部会、病院部会、老人施設部会の三部会がある。このことは、医師会員の中にこうした福祉施設に対する関心を強める結果ともなり、今では老人保健施設を併設する医師会員も多くなった。
尤もこうした状況になったのには、いわゆる第三次医療法改正も大きな影響を与えたのかも知れない。老人保健施設は初めから医療法の中に位置付けられたものではなく、老人保健法という別な法律で(中間施設として)規定されていたのも事実である。
第二次医療法改正の時にやっと医療提供施設としての位置付けがなされたが、他に療養型病床群や、老人診療報酬上に定められた老人病院、また別に特別養護老人ホームなどがあり、法律自体が混乱していたと思う。第三次医療法改正はいろいろと経緯があって、20世紀末になってやっと成立したのであったが、これらの施設が、全て医療法の中に取り入れられた結果、医療全体の体系が非常に分かり易くなった。
翌日、由紀子夫人がまた訪ねて来て、「老人保健施設へ行ったけれども、気に入った所は全て満員ですぐには入れない。また90歳の祖母スエも自分の家にいたいと言うので、しばらく通いのヘルパーを頼んでやってみたい」と言う。佐藤医師は、最近できたばかりの「総合在宅ケアセンター」へ行くように指示した。これは、医師会も参加している第三セクターの組織で、訪問看護ステーションと在宅介護支援センターをまとめたような機能を持つものである。この組織ができるまでは、在宅医療と福祉との連携は個人的レベルで行われていたのでいろいろ困難があったが、このセンターができてからは、非常にスムースになった。
訪問看護ステーションと在宅介護支援センターは今は統合されているが、A県でこれらの施設ができた1995年頃は、医療とは無縁な形で作られてしまったために、また保健所から保健婦が独自に訪問看護を計画するなど、医療と福祉の間は混乱しており、開業している佐藤医師も時に憤慨することもあった。例えば、今回の患者のような場合も、往診して療養の指導をしているにもかかわらず、保健所から保健婦が全く連絡なしに同じ患者を訪問し、別な助言を与えて行くようなことさえあった。佐藤医師が中心になって、医師会としても対策を考え、行政にも申し入れをして医療・福祉の連携を話し合う場を設けた。この時大変参考になったのが、北海道、大阪府などの例で、ここでは道府のレベルで組織や協議する場が発足しており、非常な成果をあげていた。それを手本にして作ったのがこの「総合在宅ケアセンター」で、A県でも大変功を奏し、今ではこのセンターが中心になって高齢者の在宅ケアが行われるようになった。
由紀子夫人は、これに関する費用のことを気にしていたようであった。佐藤医師は、こうした場合には、通常の医療保険ではなく、介護保険が適用されることを説明した。介護保険は今から8年前に導入されたもので、最近やっと定着してきた感がある。これが導入された当時は、まだ通常の医療保険との区別がはっきりせず医療界でも多少の混乱があったが、日本医師会の意見もあって現実的なものとして機能するようになった。
この「総合在宅ケアセンター」は、この地域では介護ケアプランの作成も行っている。ここでは、患者の程度に応じて必要な介護ケアプランを作成してくれて、それに同意すればそのための費用は介護保険から支払われるようになる。佐藤医師は、事情を詳しく書いたものをパソコンの画面から印刷して、由紀子夫人に渡した。
由紀子夫人は行動的で、その日のうちに訪問看護を含む介護の手配をして報告にきた。それと同時にクレジットカードのような小さなカードを持って来た。これは介護保険と共に導入されたカードで、この中に介護プランが入っていると共に、介護保険からの支払いもこのカードを使って行われるのである。佐藤医師は早速カードをパソコンに挿入して、必要なデータを自分のパソコンに移した。このデータに含まれる番号は、今後佐藤医師が「総合在宅ケアセンター」とパソコンで連絡する時にも使うことになる。センターの訪問看護システムを呼び出して、番号とパスワードを入れてみると、既にスエの病歴が空欄の状態でコンピュータの中にできていた。佐藤医師は、この空欄の中にスエのこれまでの病状を自分のパソコンの中の病歴から転送し、訪問看護に関する指示として「90歳になるが身の周りのことは一応はできて、留守番や連絡程度には頼りになること。しかし、ヘルパーが1日1回は訪問し、買い物や食事の世話をする必要があること。看護婦はさしあたり週に2度訪問して、衛生状態や栄養状態を確かめること。これらを少なくとも週に1度はコンピュータを介して自分に連絡すること」と入力した。
佐藤医師は、由紀子夫人に同じ「総合在宅ケアセンター」から、ハイビジョンを利用したテレビ電話が借りられる筈であるから、それを借りるように言った。そうすれば、自分も1日に1回電話で様子をみることができる。勿論、必要に応じて週に何度かは往診をするつもりではあったが、これがあればいざという時にすぐ連絡が取れて安心である。由紀子夫人はまたすぐ出かけて行って、その手配をして来た。テレビ電話は工事の関係で3日後位から作動すると言う。これで、ひとまず手配は終わったので、あとはこれがうまく動くことを確かめれば、由紀子夫人もひとまずは夫の元へ帰っても良いであろうと思った。
佐藤医師は少し時間ができたので、今日あったことを改めて勉強しておこうと思い、パソコンのスイッチを入れ、「全国医療情報ネットワーク」を介して日本医師会のコンピュータにアクセスした。まず、きょうの日本医師会からの「お知らせ」には、近く行われる診療報酬点数改正の基本的考え方と、医師会としての対応が掲載されていた。
このシステムができてから、医師会と医師会員の間の情報流通が円滑になり、医師会員の間の一体感が非常に高まったように思える。特に、医師会員の間で自由に討議できる「電子的な広場」があるので、そこに自由に意見を書き込んでおくと、賛成反対を含めていろいろな意見がでてくる。これを読むと自分とは異なった考えの人があることもわかるし、それが非常に参考になる。
日本医師会が積極的にこの情報をコンピュータで会員に流すようになったのは1997年からだった。他の領域で電算機が普及して行くのに比べて、医師会としての情報ネットワークの利用はやや遅れた感があった。その1つの理由は、救急医療情報システムのような専用の特殊なシステムが先行してしまったことにもよる。これは特定の通信手順の高価なシステムであったために、そのイメージが定着してしまい、無手順の安価な、より柔軟なシステムが却って受け入れられなかったのである。「全国医療情報システム連絡協議会」では、こうした無手順のいわゆるパソコン通信が盛んに議論されていたが、一般の医師会員はこれを一種のマニアの「遊び」と考え、日常業務に普及するとは思っていなかった。
ところが、1995年に愛媛県の松山市で行われたこの会が一つの転機で、この時愛媛県医師会が自からサーバーと呼ばれるワークステーション型コンピュータを持って、全国に情報発信ができることを示した。また、日本医師会の医療システム研究委員会でも提言をして、日本医師会としてインターネットのドメイン名およびIPアドレスを申請した。これらのことが重なって、急激に医師会員の間でも情報ネットワークに加盟する人が増加したのである。
医師会からの「お知らせ」はかなり長く、画面で読むのも面倒だったので、プリントアウトして読むことにした。それから、もう一度福祉関係の制度のおさらいをしようと思って、制度一覧のデータベースを呼び出して、介護保険の内容もプリントアウトした。ついでに日本医師会がこれまで福祉について何か報告書でも出しているかと思い、医師会文書というデータベースを呼び出して福祉に関連したものを検索した。いろいろとあったが、10数年前に出た「低出生・超高齢化社会における医療―ケアリング・ソサイエティに向けて―」という報告書が目に付いた。最初の2、3ページを読んでみると、今後10数年の間に超高齢化、少子化が進んで、家族介護力が衰え、日本社会は労働力不足に悩むであろうと書いてある。まさにこれからその時代に差し掛ることになるので、非常に興味深く読んだが、かなりの部分は現実の問題として顕在化し始めていると いう実感があった。
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老人保健施設、訪問看護ステーション、在宅介護支援センターなどとの連携
1986年の老人保健法の改正により老人保健施設が導入されたが、その経営主体は必ずしも医師である必要はなく、実際には様々な個人や法人がこれを経営している。このような施設は、医師会が主になって開設し、地域のプライマリ・ケアと一体となった運営をすべきであるという主張が1989年頃から一部の医師会によって強く主張され、それが次第に具体化されるようになった。また、その後訪問看護ステーション、在宅介護支援センターなども福祉の側から作られるようになり、その間の連携が重要となっている。その連携を模索した例は多くあるが、ここでは、参考までに北海道、青森県、大阪府の事例を記す。
物語は北海道の例に近く、訪問看護ステーションと在宅介護支援センターを統合したような組織を想定してみた。この両者は分かれて存在することはあまり意味がなく、この統合した組織が医師会と協力するような形態が将来は望ましいと考えるからである。物語の中で想定したセンターの機能は、訪問看護、ヘルパーの派遣、介護機器の貸し出し、医療や福祉制度に関する相談などである。大阪府医師会は自ら老人保健施設を設立運営している(老人保健施設と医師会 菅谷忍日本医師会雑誌 105(12):1986−90)。その考え方の主なものは、@家庭と医療機関あるいは診療所と病院の中間的位置・機能を持つ施設が必要、A在宅医療の支援が主目的で特にデイケア、ナイトケア、ショートステイを中心に考える、B入所は在宅ケアに付随して考える、C地域医療の中核としての独立型、D医師会・行政・地域住民が一体になって運営、E入退所は登録医の意見を尊重、F地域の健康教育活動の拠点となるべきものであることなどであった。1989年大阪市が第三セクターを作って「おとしより健康センター」が設立され、大阪府医師会長が理事長に、大阪市南医師会長が副所長に就任するなど、両医師会がその運営に全面的に関わった。以降、在宅ケアと密接に連携しつつ地域医療の中核施設として成果をあげている。
北海道は、訪問看護ステーションを高齢化社会の保健医療の核と考え、更に在宅ケアのための事業団を社団法人という形態で作っている点に特徴がある(日医ニュース第805号付録 プライマリーケア No.195 中野修 北海道の「在宅ケア」)。訪問看護ステーションを核と考えた理由としては、@高齢者のニーズが高いこと、Aかかりつけ医と市町村のつなぎとなり得ること、B訪問看護ステーションの設置がきっかけになって他の基盤の整備が進むことなどをあげている。また、事業団とした理由としては、@道、市町村、医師会、看護協会、社会福祉協議会が一体となった推進母体の創設が必要なこと、A市町村による格差をなくすこと、B人材の確保を容易にし、またそれに関する地域差をなくすことなどをあげている。この事業団は最終的には「社団法人北海道総合在宅ケア事業団」と名付けられ、北海道医師会、北海道看護協会、北海道理学療法士会、北海道作業療法士会、市町村、道を会員として1993年7月に設置された。事業としては、訪問看護ステーションの設置運営、事業団に所属する理学療法士などによる巡回機能訓練指導、在宅介護支援センターと訪問看護ステーションを統合した「総合在宅ケアセンター」の設置運営などである。1995年現在、岩見沢市と稚内市にこの総合在宅ケアセンターが設置されている。
青森県では、老人保健施設・訪問看護ステーション並びに在宅介護支援センターなどの在宅福祉施設と医師会の連携が多くの努力の末実現している。1988年に「青森県老人保健施設協議会」が発足したが、当初これらの施設は医療機関であるという認識が薄く、医師会との連携は希薄であった。時には医師会と軋轢が生じた場合もあった。このため1992年青森県医師会長のもとに「青森県老人保健委員会」が設置され、改善策の検討が始まった。最初は、意思の疎通が困難であったが、1992年度に保健・医療・福祉関係者を集めて「第1回青森県老人保健研究会」を開催し、問題点を討議することが可能になった。その後1994年度までに計3回の研究会を開催し、県内外より高い評価を得るようになった。同時進行的に、1994年9月には、医師会が中心になって「青森県訪問看護協議会」を設立、医師会も積極的に老人保健の問題に参加するようになった。このため、「老人保健施設協議会」も「老人保健施設協会」と名称を変更し、前県医師会副会長が協会長となって、連携が非常に円滑になった。また1995年4月には、やはり県医師会が中心となり「青森県在宅福祉連絡協議会」を設立し、在宅介護支援センターや他の福祉施設との連携が円滑にとれるようになった。今ではこれらの関係諸施設と医師会とが一体となって青森県の老人保健・医療・福祉を推進するようになっている。
加えて青森県の老人保健福祉計画の一環として、「青森県特別養護老人ホーム・老人保健施設サービス評価委員会」が1995年9月に発足した。当委員会の委員長、副委員長に青森県医師会老人保健担当常任理事が就任した。そして、特養部会・老健部会共に青森県医師会老人保健委員会委員が任命された。このことにより、保健・医療・福祉の連携が行政と共に一丸となって非常に円滑に行えるようになった。
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高齢者のケア、福祉施設のデータベース
現在、このようなデータベースはまだ存在していないが、都道府県医師会の中には、非常に詳細な一覧表を持つマニュアルを作成している所も多い。例えば、大阪府医師会の作成している「高齢者在宅ケアマニュアル」などはその優れた例である。現在はこれらのマニュアルが都道府県単位で作られているのは、ややもったいない感じもするし、もし、これらがこの物語にあるようにデータベース化されて、どこからでも利用できるようにすれば非常に有用であろう。このようなものができてくるのも時間の問題かもしれない。
介護保険
厚生大臣の私的諮問機関である高齢社会福祉ビジョン懇談会が、新ゴールドプランにリンクする形で1994年3月、「国民誰もが、身近に、必要な介護サービスがスムースに手に入れられるようなシステム」即ち、介護サービスの必要性について提言を行った。これを受けて厚生省は21世紀の超高齢化社会を目前にして、介護に焦点を置いた社会保障全般の再点検が必要との観点から1994年4月高齢者介護対策本部を開設した。同年7月には介護問題の基本的な論点・考えの整理のために学識経験者による「高齢者介護・自立システム研究会」を発足し、「新たな高齢者介護システムの構築を目指して(1994年12月13日)」と題する報告書を作成した。同報告書は介護の基本理念として、高齢者が自らの意思に基付き、自立した質の高い生活を送ることができるように支援することを揚げ、「新介護システム」の創設を提言している。特に、同報告書において初めて介護に社会保険方式の導 入が謳われたことは、その後の介護保険創設の動きに大いに影響を与えることになった。
1995年7月まず社会保障制度審議会が33年ぶりに「社会保障体制の再構築」と題する勧告を首相に提出した。同じく7月に老人保健福祉審議会の中間報告が厚生大臣に提出され、そして8月には医療保険審議会が「中間まとめ」を公表した。これら三審議会は介護について、それぞれ社会保険方式の「介護保険制度」の創設を提言した。
日本医師会の意見
日本医師会は厚生省の公的介護保険構想の検討に対し、基本的な理解は示すものの、高齢社会における社会保障制度の基本的な視点から、高齢者問題に対する具体的な考え方を明らかにするために、医療政策会議において「高齢社会を迎えるに当って(中間まとめ)―介護保険を中心に―」(1994年12月)を纏め、「生涯福祉保険制度」の考え方を提示した。特に、医療保険がこれまでやむを得ず負担してきた介護部分については、医療保険から独立した介護保険として創設すべきだとしている。
全国医療情報システム連絡協議会
全国医療情報システム連絡協議会は、1987年医師会員の有志の任意団体(緑陰講座)として発足したが、第3回目から定例会議として現在の名称に変更、次第に発展して、医師会の情報関連の活動の経験を交流する場として重要な意味を持つようになった(付録3を参照)。
情報ネットワーク
パソコンの普及により一人一台のパソコンを持つ時代になり、それぞれのパソコンを単独で利用するよりも通信という手段で、ネットワークとして情報を交換する方法が注目されてきた。その中でインターネットは、世界中のコンピュータネットワークを繋いだいわばネットワークのネットワークと考えられる。ユーザーは瞬時に世界中のサーバーと呼ばれる情報発信のコンピュータに接続でき、そこの情報を取り出すことができる。また自分自身も情報を世界中へ発信することができるシステムである。具体的にはWWW(World Wide Web)と呼ばれる文章や図形、写真などが表示されている画面を見たり、文献検索をしたり、各分野の最新のニュースを見ることができる。またコンピュータで使うソフトを手にいれたり、世界中のユーザーに瞬時に手紙を送れる電子メールの機能などがある。
日本医師会は1995年インターネットのドメイン名「med.or.jp」およびIPアドレスを取得し、築地の国立がんセンターと専用回線を敷設することによりインターネット上にアクセスすることが可能となった。そして、日本医師会としてのインターネットの更なる利用、発展については将来的課題として検討している。
低出生・超高齢化社会における医療―ケアリング・ソサイエティに向けて―
日本医師会医療システム研究委員会は1991年度(平成3年度)報告書として「低出生・超高齢化社会における医療―ケアリング・ソサイエティへ向けて―」を提出した。この報告書は全ての国民が、人生の一時期に介護に参加する社会(ケアリング・ソサイエティ)の提唱を行っており、大きな反響を得ている。